| 西暦 |
できごと |
| 1948年 |
ルードイッヒ・グットマン博士(英)の指導で「ストーク・マンデビルゲーム
」(両下肢マヒ者の競技会)が開催される
※グットマン博士:ロンドンのストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センター所長、故人 |
| 1951年 |
「第1回東京都身体障害者連合運動会」を開催 |
| 1952年 |
「第1回国際ストーク・マンデビル競技大会」開催 |
| 1960年 |
「国際身体障害者スポーツ大会」開催(ローマオリンピック時)21か国、400名参加 |
| 1960年 |
中村裕(ゆたか)博士(当時33歳)が、ストーク・マンデビルでルードイッヒ・グットマン博士の研修を受ける
博士は日本で脊髄損傷者の近代的治療を始め、車いすスポーツを障害者のリハビリテーションと社会参加の手段として押し進めるため自ら進んでその普及に努めた。なお当時の日本の車いすは木製で重かった。 |
| 1961年 |
「大分県身体障害者体育大会」開催
「身体障害者をさらし者にするとはお前はそれでも医者か」とのマスコミの反対を押し切って開催 |
| 1962年 |
「第11回国際ストーク・マンデビル競技大会」に日本から初めて選手団4人を派遣(大分県からは2名・伊藤、吉田(水泳で3位入賞) |
| 1964年 |
「第2回国際身体障害者スポーツ大会」(初めてパラリンピックと呼んだ)開催 (東京オリンピック時)22か国、369名参加 |
| 不明 |
北欧の何人かの選手がスキーのストックを推進力とし、マラソンの距離を走破した。 |
| 1965年 |
「財団法人 日本身体障害者スポーツ協会」設立
「第1回全国身体障害者スポーツ大会」開催(岐阜県) |
| 1974年 |
「第1回アメリカ車椅子大会」開催(アメリカ、オハイオ州)10名の選手による世界初の車いすマラソン大会 |
| 1975年 |
チャールズ(ロッド)・ウイリアムス、ゲーリー・カー、スティーブ・スコット(いずれもアメリカ人)により、レース用の車いすがデザインされた。22インチのハンドリムの代わりに16インチのハンドリムを使用した。 |
| 1975年 |
「第79回ボストンマラソン」にボブ・ホールが参加。(参加許可をめぐり訴訟が起きた) |
| 1975年 |
「第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会」(フェスピック)開催(大分県) 25か国、920名 |
| 1977年 |
「ホノルルマラソン」に日本から4人の車椅子選手が参加 |
| 1978年 |
「アメリカ車椅子選手権大会」(「第82回ボストンマラソン」) |
| 1981年 |
「第1回大分国際車いすマラソン大会」開催(ハーフのみ)14か国117名 |
| 1983年 |
「第3回大分国際車いすマラソン大会」開催(フルマラソンを加え、国際ストーク・マンデビル車椅子スポーツ連盟公認となる) |
| 1984年 |
第7回世界車椅子競技大会(第7回パラリンピック)に車いすマラソンの部が加えられる。
車椅子の競技をイギリスで、車椅子以外の競技をニューヨークで実施した。 |
| 1986年 |
スイス・ゼンパッハで車いすマラソン大会が始まる(以降、隔年開催) |
| 1988年 |
「日本身体障害者陸上競技連盟」の設立 |
| 1989年 |
「IPC:国際パラリンピック委員会」設立
第5回フェスピック大会(神戸)開催
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| 1991年 |
第1回ジャパンパラリンピック大会を開催 |
| 1996年 |
第10回パラリンピック(アトランタ) |
| 1998年 |
冬季パラリンピック(長野) |
| 1999年 |
第7回フェスピック大会(バンコク)開催
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| 2000年 |
第11回パラリンピック(シドニー)
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| 2002年 |
第8回フェスピック大会(韓国・釜山)開催
※10月26日〜11月1日 |